熱海には「西山」という、昔は高級別荘地だった地域があります。
もちろん今でも別荘地なのですが、昭和の時代には名だたる文豪がこぞって居を構えた所なのです。
その西山には佐佐木信綱が居を構えた「凌寒荘」という史跡があります。
現在でもキレイに保存されていて、土日は庭園鑑賞できるようなのでちょっと覗いてきました。(家から徒歩圏内)
凌寒荘の入り口です。
毎週土日は午前10時から夕方16時まで開園しています。
入口のパネルには佐佐木信綱がどういう人物かが書いてありますよ。
門をくぐるとすぐ玄関らしきものがありますが、庭園公開ですので中には入れません。
下のパネルのアップ。「山と水と」という歌が書かれています。
そして、先ほどの玄関の脇を抜けて庭の方に出ると・・・
大きな木が1本、象徴的に立っています。
佐佐木信綱氏はたいそう愛でていたようですが、なんの木だったか・・。梅だったかな・・・。
さて、ここまでまるで誰もいないかのような書き方をしていますが、実は中に学芸員らしきおばさまがいらっしゃって、佐佐木信綱についていろいろなことを細かく教えてくださいました。
しかもベンチに腰掛けてお茶まで出していただけるのです!
のんびりと往時に思いをはせて歌の世界に没頭するのにはこれ以上ない場所ではないでしょうか。
見学者はもちろん建物の中には入れないのですが、外から部屋を眺めることはできます。
ちょっと写真が下手クソで申し訳ありませんが、居間らしき場所に佐佐木信綱氏の写真が飾ってあります。
まだ鏡餅が置いてありますね。とても風流です。
この佐佐木信綱という方は万葉集研究で昭和12年に最初の文化勲章を賜った9人のうちの1人でもあります。(と聞きました)
すごい人だったんですね~。
ということで、
元号が令和に決まった時に、出典の万葉集にちなんで熱海新聞に凌寒荘が掲載されたようです。
熱海市民としては、かなり誇らしいです。
他にもいろいろ写真を撮ってきたのですが、凌寒荘を訪れた際のお楽しみが減ってしまうのであと1枚だけ。
大きくしないとわかりづらいので大きな写真を載せましたが、この掛け軸、来宮神社の歌碑の写しなのです。
ちょっと手前のパネルの紙が曲がっているのが気にならないではないですが、この部屋は奥様が使われていた四畳半で、この凌寒荘に越してきてから3年ほどで亡くなられたとのことでした・・・。
ということで、凌寒荘見学はとてもほっこりとしたひと時になりました。
学芸員の方に「歌詠みの会があるときはどうぞ参加なさってくださいね」と言われましたが、そんな素養があるはずもなく・・・。
もうちょっと年を取ったら歌が詠めるように精進したいと思います。
最後に、この佐佐木信綱という方はもう一つ偉大な功績がありまして、120校以上もの学校の校歌を作詞していることでも有名なのです。
もしかしてあなたのいた学校の校歌も佐佐木信綱作詞かもしれませんね。
■佐佐木信綱:昭和38年12月2日、熱海市西山の凌寒荘にて没。享年91歳。
■凌寒荘(佐佐木信綱邸):静岡県熱海市西山町12- 18(土日の10時~16時、無料にて庭園見学可)